敬老の日だからこそ

2016年9月19日
今日は敬老の日ですね。

超大型の台風が深夜にも九州に上陸。
それから本州を横断するように東へ東へと進んでいく予報だそうです。

3連休の最終日の敬老の日は、お家でおじいちゃんおばあちゃんのお祝いをする方も多いかと思います。
僕の家も、毎年敬老の日には祖父のお祝いを家族でしたりしていましたが、95歳の今年はそういう訳にも行かなくなってしまいました。

実は先週末に母が体調を崩してしまい、大事をとって入院することに。
大病とかではなく恐らく過労かと思いますが、十分な休養が必要なのは誰が見ても明らかでした。

僕の父は男三兄弟の長男。
なので母は世間一般的な長男の嫁にあたります。

僕が小学5年生までは祖父母と実家で同居。
以降は実家隣の畑を整地し新築した家に両親と姉と僕の4人が住み、実家にはそのまま祖父母が住むことになりました。

なので、要介護5の祖母(2013年他界)を10年以上介護し、今は95歳になる祖父の面倒を見ています。
祖父は毎日畑に行くなど、端から見ると元気そうに見えますが、実際は1人で出来る事には限界もあるし、動けるからこその問題もあります。

父もまだ現役で働いているので、実質の介護者は長男の嫁である母になります。
実の両親でもない、言ってしまえば赤の他人を献身的に世話をしていた事になります。

『親は子がみるもの』
今の時代感覚からすると違うのかも知れませんが、僕の両親はその意識が強く、その負担を子の僕には掛けまいと、僕自身も祖父母の介護においての苦労や実態は知らされていなかった事や知らなかった事が多いように思います。
恥ずかしながら、僕も表面的な手伝いはするものの、深く入り込む事はしなかったように思います。

只、僕はそんな両親を見て育っているので、当然いつかくる親の介護を見据えて、結婚を機に実家の近くに住む事を選びました。
そんな僕に付いて来てくれた奥さんには感謝の気持ちでいっぱいですが、奥さんには母のようにはさせたくないなと強く強く思います。

 

そんな中での母の入院。
それを機会に、僕自身が一気に実態を知る事にもなり、母1人に掛かっていた重荷や、『親の介護』について色々と考える機会にもなりました。
それと同時に、色々と腹立たしくなる事や僕自身の後悔、改めて家族で話し合わなければならない事も沢山あるように思います。

世の中では介護についての報道や特集、何とも言えない悲しい事件がニュースとして流れる事もあります。
総務省統計局の調べによると、日本の65歳以上(高齢者)の人口は2016年9月15日時点で3461万人となり、総人口比は27.3%となのだそうです。
10人に3人が高齢者となるのもそう遠くはありません。

今まではまだ先の話であったり、他人事のように聞き流していた事もありましたが、人の子である以上、親の介護って多くの人が直面する未来なんだろうなって、そう思います。

今日は敬老の日。
兄弟、姉妹が一同に集まる事もあると思います。
自分達の親をどういう形で看取るのか。
敬老の日だからこそ、話すべき事があるように思いました。

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