仕事の事

時には金魚のように

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数年前にどこかの動物ふれあいパークみたいな所で出会った金魚。

狭いガラスのケースの中を無数の金魚が狭そうに泳いでいました。

光が鱗に当たってキラキラと輝いている様は、まさに金魚。Gold fishな感じ。

僕は純粋に綺麗だなーっと思ってたけど、隣から『狭い所でかわいそう…』と声が聞こえてきました。

振り向いてみると、少女がお父さんの手を握り締めながら悲しそうに眺めてる。

ハッと思って辺りに耳を傾けてみると、『キレイ』とか『うわっ気持ちわる』とか『かわいそう』とか、聞こえるてくる金魚への感想は人によって様々。

そうなんです。

観賞用の金魚でさえ、人によっての見え方や感情って違ってくるんですよね。
どんなものにでも、その人が見える感じる話す事には主観が入っていて、その人がキレイと言えばキレイし、かわいそうと言えばその人からすればかわいそうな光景なんですよね。

その場の僕は様々な感想を聞く中で、『言われてみればかわいそうかも…』と、思い始めてました。

あ、これって人の意見に流されちゃってる?!

人…というか僕はまだまだ人の意見に流されやすかったり、気にしたりする事も多いんですが、世の何か一つでも光がある人眩しい人って、何処かしら変(いい意味で)だったり、自分の中に一本柱を持ってる気がするんですよね。

ゴーイングマイウェイと言うかなんと言うか。

アドラー心理学をかじってみると、これまでの見え方と少し視点が変わることもあって、客観的な事実ってなかなか変えられないけど、自分自身の主観的な解釈はいくらでも変える事が出来るんだなってつくづく思います。

イワシみたいにみんながみんな一方向を見て泳ぐと、迫力はあるけどイワシっていう集団で個々のイワシはあんまり気づかないような気がします。

それよりか、自分の主観を信じながらも水中を揺蕩う方が、金魚のように光輝く物が出てくるのかも??

と、ふと思うのでした。

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